研修報告updated; 2010.07.27
がん医療に対する興味(大学入学前)
開業医の家庭に生まれ育った環境から、私の中で医師はもっとも身近な職業でした。そのため、幼少期から「自分も将来はお医者さんになりたい。」という気持ちがありました。
小学生の頃、育ての親とも言うべき私の祖母に卵巣癌が見つかりました。数回に及ぶ手術、数十回を数える入退院を含めて5年間の闘病生活の始まりでした。大変な病気と闘いながら、主婦として家族を支えてくれた祖母は、最後の最後に入院するその朝まで、毎日私の弁当を作ってくれたものでした。私は中学校1年生でした。
中学校生活も半ばの頃、今度は祖父が食道癌と診断されました。初発時には転移を伴っており、根治治療は望めない状態でした。消化器外科医だった彼は自分で自分のカルテを作り、自らの病気と向き合いながら外来診療を続けていました。食べることが好きで、発病前から「わしは食べられなくなったら終わり」と常々言っていた祖父は、病勢進行でいよいよ食物の通過が困難になった数日後、原発巣の気管支動脈穿破であっという間に駆け抜けていってしまいました。豪快で短気な祖父らしい最期でした。私は高校2年生になっていました。
多感な時期にもっとも身近な家族2人を相次いで奪っていった「がん」という病気との出会いは私にとって衝撃的なものでした。
腫瘍内科との出会い(大学在学中)
私の頭の中では「医者」とは町の診療所で働いているいわゆる「お医者さん」のことでしたので、患者さんと長く、家族ぐるみでつきあっていくようなイメージを抱いていました。しかし、大学で講義を受けても、「家庭医」あるいは「総合診療医」になるための道筋はイメージしがたいなあ、と感じるようになりました。臓器としては、消化器に興味がありましたので、次第に「消化器内科医になろうかな」と考えるようになっていきました。胃癌、大腸癌、肝臓癌、と癌の非常に多い科である、というイメージもその気持ちを後押ししていました。
私の大学(九州大学)では5年生で一通り全ての診療科を回って実習し、6年生で興味のある4つの科を選択します。私は、「消化器」と「がん」というふたつの興味に従って、第一内科、第二内科、第二外科を選択し、加えて学外の病院のホスピス病棟で1ヶ月研修することにしました。
第二内科ではがんを疑われて精査を受ける患者さんと、第二外科ではがんと診断され手術を受ける患者さんと、第一内科ではがんの転移や再発を指摘されて抗がん剤治療を受ける患者さんと接する機会がありましたが、ホスピス病棟ではより衝撃的な出会いがありました。手術、放射線治療、抗がん剤治療、と様々な治療を受け、「刀折れ、矢尽きた」という無念をにじませる人。がんと診断された時点で積極的な治療を望まれず、ホスピスを受診した経緯を穏やかに語られる人。人それぞれでしたが、大多数は様々な病院で、その時々の主治医から、いろいろな治療を受けて来た方々でした。
一人の患者さんと長く付き合っていきたい、という希望を持っていた私は、「一生の病気であるがんを患った患者さんを(もちろん、各専門の医師と相談しながらですが)ずっと主治医として診られないだろうか」と考えました。そして、それをするのに最適なのは腫瘍内科ではないだろうか、と感じたのです。こうして、私は腫瘍内科医を志すようになりました。
臨床医の腫瘍内科医に対するイメージ(研修医時代)
初期研修では、むしろ自分が将来専攻するであろう分野以外をしっかり勉強したい、と考え、大村市にある長崎医療センターという施設を研修病院に選びました。人口20〜30万人の長崎県央地区の医療の中心をなす病院でしたので、もちろんがんの患者さんも来られますが、それ以外の病気がむしろ大部分を占めていました。また「腫瘍内科」という標榜科はありませんでしたので、「将来は腫瘍内科医になりたいです」と話すと指導医の先生方からも珍しがられたものです。
手術の合間に抗がん剤治療をしている外科の先生には「是非助けになってほしい」と激励される一方で、呼吸器内科の先生には「腫瘍内科ができても肺がんの診療は呼吸器内科医の方が上だろうし、各臓器でその専門家が診ている現状を変える必要があるんだろうか?」と指摘されることもありました。
その中で印象に残ったのは放射線科の先生の言葉でした。「全身のがんを診る、ということは、『全身を広く浅く知る』ことじゃない。鑑別となる疾患や、合併する疾患についても知っておかねばならないから、『全身を広く深く知る』必要があるんだ。」広く深く。腫瘍内科のやりがいの一面をうまく表した言葉のように感じました。
腫瘍内科医の実際(大学病院医員時代)
2年間の研修を経て、第一内科腫瘍グループに入局した私は、腫瘍内科医としてスタートを切ることになりました。1年間の病棟勤務では10〜15人の患者さんを主治医として担当していました。その年々によって体制は多少異なりますが、ほとんどの場合、外来主治医を含めた複数の上級医とそれぞれの患者さんの方針を決め、病棟カンファレンスでの相談も経ながら実際の治療を行っていきます。また定期的に看護師さんとの意見交換の場もあり、精神科の先生とディスカッションする場もあるため、そのような場での情報も治療に反映されます。
精神科、心療内科以外にも、外科や放射線科など、必要に応じて各領域の専門家にコンサルトする機会も多くあります。「がん」という全身の、重大な疾患に対しては各専門科が総力を結集した集学的医療が必要となりますが、そのいわばコーディネーターとしての役割が腫瘍内科医に期待されている、ということが実感されます。
症例の内訳としては、消化器が半数以上を占めていました。中でも大腸がんの症例が多いです。またそれ以外では肉腫、原発不明がんなどが多く、胸膜、腹膜の中皮腫や縦隔腫瘍、頭頸部がんの症例もありました。市中病院と比較すれば「数」は少なくなりますが、「考え方」のトレーニングには非常に適した環境ではないかと思います。また、第一内科の他のグループの先生も同じ病棟で働いていますので、感染症の問題や骨髄機能のこと、循環器系の問題など、気になったことはすぐに専門家に相談できる、という点で心強い職場です。
癌に対する医療と研究(がんプロ大学院生として)
大学に戻る際、同時に大学院のコースの一つである「がんプロフェッショナル養成プラン(=がんプロ)」に入ることにしました。これは学位と専門医受験資格という二つの目標を同時に達成できるコースで、4年間の大学院の1年を臨床に充てることができます(私は大学院1年目をその臨床期間に充てました)。がんプロの大学院生には通常よりたくさんの講義への出席が求められ(通常の大学院の講義に加えて、がんに関わる講義があります)、臨床を行う期間では専門医試験に向けた症例を経験することになります。
これらをこなしながら、残りの3年間で研究も行います。この課程を修了すれば、通常は認定施設で5年以上の臨床経験を積む必要のある「がん薬物療法専門医」の受験資格が1年短い4年間で得られることになります。
大学院に入ることのメリットとしては、「研究」というものがどんなものか理解できる、ということがまず挙げられると思います。日々の診療にあたる上での疑問を解決するために基礎論文、臨床論文に接する機会がありますが、実際に実験を自分で計画して行ったことがあれば、論文に書いてある一つ一つの過程がもつ意味に対する理解が深まります。それは、「内容を批判的に吟味する」ためにも必要な知識ではないかと考えます。
また、がんプロではがんにまつわる様々な講義を受講することになりますが、各分野の専門家の話を系統的に聞く機会は実は滅多にありませんので、貴重な機会となります。
最後に
がんはほとんどの場合、重大な疾患であり、患者さんはまさに「がんと闘うための日々」を過ごすことになります。そんな患者さんと手を携えてがんに立ち向かうことは非常に多くの困難を伴います。しかし私は、患者さんの人生に深く関わり、一緒に最善の道を模索していくことに、非常に大きなやりがいを感じています。
日本人の二人に一人ががんに罹患し、三人に一人ががんで亡くなる時代であるにもかかわらず、抗がん剤を中心としたがん治療の専門である腫瘍内科はまだまだ若い領域です。また、「がん薬物療法専門医」は非常に少ないのが現状です。逆にいえば、みんなから求められる新興の分野ですので、「自分たちが切り開いていくんだ」という意識を持つことができる点も魅力的です。
まだまだ「腫瘍内科」の講座を持つ大学は少なく、学生への講義の機会なども限られているため知名度不足は否めませんが、一人でも多くの皆さんがこの領域に興味を持ち、将来一緒に働くことができればいいと思っています。



